【 ニードルフェルト工房】 ゴッペマスター

転職して山奥のログハウスで「ニードルフェルトアーティスト」や「スキーインストラクター」など好きな事をして生きていくゴッペさんのブログ!

④その時、自衛官だった俺は…3.11東日本大震災…災害派遣の記録④

前回からの続き…

※この記事は「3.11東日本大震災 災害派遣」当時の記憶をそのまま書いています。表現には気を付けていますが気分が悪くなる方は読むのを止めて下さい。

 

 

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 「多只、福島第1原発第3建屋が爆発しました!建物から出ないでください!窓を閉めて下さい!」

 

まるで「叫んでいる」かの様なマイク放送をしながら、婦人警官のパトカーが近づいてきた。

 

俺はパトカーを止めた。

「今は津波警報が鳴っていますよ。津波が来たら建物に避難していたら逃げられなくなる。まずは高台への避難が優先ですよ!」

 

婦人警官達(運転手も婦人警官)は「分かりました!」と言って、高台に避難するように放送を始めた。

 

正直、この時の警察の最初の「放送」は間違っていたと思う。※個人意見です。

「放射線」を知らない者が、無意味な「不安」と「混乱」を招いただけだ。

もちろん、「危険だ!すぐに避難させなければ!」と感じ、警察官として職務を遂行し様とした事なので責められないのだが…。

しかし、「正しい判断」をする為には「正しい知識」が必要だと強く思った出来事だった。
 

 

もちろん、我々も自衛官とはいえ「放射能」に詳しい訳ではない。

専門的に詳しくて、活動出来るのは「化学防護隊」だけだろう。

実際、「化学防護隊」はすぐに福島へ向かっている。

 

 

土地勘のない俺は、警察官がマイク放送するくらいだから「原発」が近くにあるのだと思っていた。

ここに来るまでの移動中に、各人に「線量計(被爆量を計測できる)」が渡され首からかけている状態だった。

この瞬間、頭によぎった思いはこうだ。

 

「放射線か…この災害派遣からは無事では帰れないな…」

 

そんな事を思いながら、遅れていた人たちを誘導していた。

 

やがて…

「津波警報解除、津波警報解除」

 

市の防災無線が聞こえた。

津波は堤防を越えるほどのものではなかった。

 

避難していた車や人々が帰り始めた。

最初に避難させた女子中学生達が寄ってきた。

俺は「大丈夫?帰れる?」、そう尋ねると

「はい!ありがとうございました!!」元気よく答えてくれた。

 

こんな大災害にあったばかりなのに、避難していた人たちは比較的「元気」があるな…と言うか「強いな」、その時はそんな風に思ったのだが…。

まだ、この地域が「比較的、被害の少ない地域」だとは知る由もなかった…。

 

 

俺達は中隊長車と合流し、すぐ態勢を立て直して目的地「老木公園」に向かった。

 

時間的感覚はハッキリと覚えていない。

全派遣部隊が目的地に集結したのは午後になっていたと思う。

ここから、どう活動するのか?

上層部で作戦会議が開かれている。

俺達は「待機」しながら、すぐに使用するであろう「毛布」や「エンピ(スコップ)」などの資器材を車に準備する。

この間も「震度4~5レベルの余震」は頻繁に起きる。

 

隊員たちの様子を見ていたが、この段階では既に「通常」の状態に近くなっている。

ここに移動してくる間に「被害状況」を目の当たりにしたからだろう。

と言っても「興奮」している状態が無くなった訳ではない。

適度な「緊張状態」で落ち着いているように見えた。

 

 

偵察部隊が帰ってきた!

情報を集約する…。

 

どれくらいの時間「待機」していただろうか?

「前進命令」が下りた!

 

部隊は大きく2手に分かれて活動する事となった。

約半分は「活動拠点」を準備する為、公園に残りテントを張ったりする「宿営準備」に取りかかる。

もう半分の勢力で「生存者捜索活動」にあたる作戦だ。

 

俺は「捜索活動部隊」となった。

我々の中隊が前進する地域は「海岸線」にある集落

 

「救助活動」は時間との闘い

「命のレッドラインは72時間」と言われている。

既に50時間以上経過している…。

 

これまでに経験した「災害派遣」は

豪雨洪水、山林火災、遭難、海難事故、雪害等…

 

積んできた「救助訓練」は

山岳救助(滑落、遭難)、雪崩遭難救助など…ほとんどが「山岳事故」などを想定している訓練が多い。(※これは俺がレンジャー隊員である為)

 

「地震+津波被害」は初めての経験となる。

 

現場に到着したが…

 

 

…これは…

 

…どこから手を付ければ良いんだ…?

 

街が…丸ごと無い…全てがグチャグチャになっている…

 

 

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まずは「生存者の捜索」

我々は「一列横隊」を作り、ゆっくりと歩き出す。

これは山岳遭難などや、物品を紛失して捜索する時によくとる戦術だ。

 

どこが元々の「地面の高さ」かもわからない。

瓦礫の山を歩いていく。

 

捜索を開始して15分程度経過した時だった。

 

隊員の一人が

「人が…います。…亡くなっています。」

 

数名が確認しにいく。

 

周囲の隊員達の動きが止まる。

離れた場所にいる隊員達には状況がつかめない。

「なんで止まったの?」

「遺体が見つかったみたい…」

 

そんな会話が聞こえる。

 

放っておく訳にはいかないので、車で搬送できる位置まで「応急担架」を作成して運ぶ事になったのだが…。

6~8名程度の人員が必要なのだが、確認に行った3名の他に誰も近づかない。

 

若い隊員が多かったので「動けない」という表現が近いのかもしれない。

 

俺はその状況を見て数名を連れ、現場に足を運んだ。

 

瓦礫に少し埋もれ仰向けの状態…男性だった…。

 

最初の「ご遺体」を確認した時の状況だ。

シートで包むようにして8名で運んだ。

 

まだ、活動を始めて15分程度だぞ…?

いったい、どれだけの被害なんだ…。

そんな思いが頭をよぎる。

 

俺達は「通常」のつもりだったが…

隊員達の間に「緊張」と「不安」が一気に広がったのが分かった。

 

再び態勢を立て直し「捜索」を開始する。

心のどこかで「こんな状況では、生存の可能性は0%だ…」なんて思ってしまう。

 

進んでいくと「ガスの匂い」が充満している。

周囲を見渡した。

瓦礫の中に「プロパンガス」を3本発見した。

部隊の前進を止めて、俺と数名の隊員でプロパンガスの状態を確認しに行く。

幸い「栓」を閉める事によりガス漏れは止まった。

 

ここまでの被害だ。

何が起きてもおかしくはない。

 

部隊は再び前進を開始する。

そこから50m程進んだ場所で…

林の中にうつ伏せに倒れている女性を発見する…。

 

もう、「動けない隊員」などいない。

「亡くなった人」を初めて見る若い隊員達が搬送している。

 

 

この段階で、先程感じた隊員達の「不安」を感じなくなっていたと思う。

「緊張」は消える事はない。

だが「不安」は感じない。

 

いや、実際は「不安」だらけだろう。

でも、隊員達の動きをみて感じ始めたのは「使命感」

 

「不安」を凌駕する、圧倒的な「使命感」

 

おそらく、派遣された自衛官全員が「強い使命感」を持って活動していただろう。

 

「この悲惨な状況を何とかするのは、俺達(自衛官)じゃなきゃ無理だ。」

そう思った。

 

暗くなるまで「捜索」は続けられた…。

 

 

次回へ続く…

 

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