【 フェルト工房 世界樹】 ゴッペマスター

北海道の山奥にログハウスを購入して「アーティスト」活動を始めました! 羊毛フェルトに出会い、独学で勉強して羊毛フェルトを始めてたった半年で「プロ作家」としてデビュー(※開業申請)という無謀な挑戦を始めました。 その他に冬はスキーのインストラクターとして活動もしています。 そんな羊毛フェルト作家が日常の創作活動の様子や、ログハウス生活の日々、時々趣味のバイクやスキーの事を書いています!

①その時、自衛官だった俺は…3.11東日本大震災…災害派遣の記録①

2011年3月11日…

 

まず最初に、東日本大震災で犠牲になられた多くの方々のご冥福と、被災され今も戦い続けている皆様が1日も早く安らげる事をお祈りいたします。

 

こんにちは、ゴッペです。

 

早いですね…あれから8年ですか…

俺は昨年、思うところがあり26年勤務した陸上自衛隊を依願退職しました。

 

仕事が嫌で退職した訳ではありません。

むしろ「逆」で、「自衛官のあるべき姿」を突き詰めた時、「用意されていた重職に自分が就くべきではない。また、この判断をした以上、自分が自衛官を続けるべきではない」と判断したから…。

 

陸上自衛官という職は「天職」と言っても過言ではありませんでした。

 

「3.11東日本大震災 災害派遣活動」は自衛官として「どうあるべきか?」を考えさせられました。

この考え、想いは「自衛官」として自身を急成長させてくれました。

しかし、この想いはやがて「退職」の道を選択するのですが…

私は被災した訳ではありませんが、「東日本大震災」はその後の人生を方向変換する事に大きく関係しています。

 

 

「東日本大震災 災害派遣」の事は、あまり話さない様にしていました。

映像もあまり見ない様に意識してきました。

 

やはり、何とも言えない気持ちになります。

胸が締め付けられる感覚がある…。

 

今でも、雪解けの「潮」と「土」の香は感覚をあの日に戻します。

軽いPTSDなのかもしれませんね。

 

「胸が締め付けられる感覚」というのは、「辛かった」とか「怖かった」という類の感覚ではなく、「もっと、俺達に出来た事はなかっただろうか…?」とか「俺達は役に立っていたのだろうか…?」という様な「後悔」とか「不安」に似た感覚です。

 

 

何度か記事に書いた事がありますが、今回改めて記事にします。

記憶にある事を細かく。

 

実際に「経験」した者にしか伝えられない事があるでしょう。

当時の俺が何を感じ、どう動いたかなど。

 

この記事を読む事により、若い自衛官や警察、消防、海保などの隊員や、ボランティアの方々、あるいは被災者の方…誰かの何かの役に立てば…と。

 

かなり長くなると思うので数回に分けて記事にしますね。

 

 

 

2011年3月11日

 

この日、俺は仕事が休みだった。

自衛隊スキー教官の資格を持っている俺は、時間があればスキーの技術向上の為、スキー場に足を運んでいた。

そして、この年はSAJ(全日本スキー連盟)のスキー「準指導員」を受験していた俺は、実技試験を数日後に控えていた。

 

この日もスキー場では「部隊スキー指導官養成訓練」というスキー訓練が行われていて、将来の「スキー教官の卵」達が訓練をしていた。

自衛隊のある町のスキー場は、大体どこも「自衛隊スキー訓練」と「学校スキー授業」がお客の大半だ。

 

そんな自衛官が大勢いるスキー場で、スキーの練習をしていた。

 

 

午後2時46分

 

俺はリフトに乗車したばかりだった。

リフトは「乗り場」から「降り場」まで9分はかからないくらい。

 

リフトの中腹辺りで「携帯電話」が鳴った…メールの着信音だ。

スキーをしている最中は「携帯電話」は電池節約の為(※寒さでバッテリーの消耗が早い)、内ポケットに締まっているので着信音には気付かないのだが、たまたま気が付いた。

 

妻からのメールだった。

スキーの練習中なのは知っているのに、何だろう?

 

メールの内容

「ちょっと!!地震!!もの凄くデカい!!すぐに災害派遣になるレベルだから、スキー止めて帰っておいで!!!」

 

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どこで地震だ??

 

実は俺の住んでいた地域でも「震度3」だった。

地震の起きない地域だから「震度1」でもすぐに気が付くのだが、この時はリフトに乗っていたので気が付かなかった。

 

リフト降り場の付近で、スキー訓練中の教官の1人が電話をしていた。

何やら慌ただしい感じだ。

おそらく地震の災害派遣の為の「電話呼集(電話連絡)」だろう。

 

同僚なので話を聞くと、東北でかなり大きな地震があった。

おそらく非常呼集が掛かると思うので、訓練を中止せよとの内容だった。

 

この時、ウチの奥さんが凄いなと思った。

自衛隊の非常呼集よりも早い段階で「戻って来い!」という指示を俺に出している。

 

 

素早くゲレンデを滑り降りてロッジに入ると、ロッジ内の自衛官達がテレビに釘付けになっている。

この時は「緊急地震速報」が流れていて詳細は分からない。

震源が東北地区なので、北海道の部隊がすぐに災害派遣に行く事はないだろうが、間違いなく集合は掛かりそうだ。

既に訓練中止命令は出ている。訓練部隊が続々とロッジ前に集合して帰隊準備に取りかかっている。

 

俺はそんな状況を横目に、自宅へと急いだ。

スキー場から自宅へは車で20分ほどかかる。

いつ「非常呼集」の連絡が来てもいい様に、携帯電話は手の届く場所に置いてある。

 

「非常呼集」の電話が鳴る事なく自宅に到着した。

 

自宅に到着し玄関を開けると妻の声が。

「ちょっと!!大変!!テレビ見て!!」

 

俺は家に上がり、テレビの映像をみて絶句した…

 

「釧路市」の津波の映像だった。

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「津波」の威力など海から離れている山で育った俺には未知数だったが、映像でその破壊力に言葉を失った。

まさに「百聞は一見にしかず」だ。

車はオモチャの様に流され、家が砕かれて崩れながら流されている…次々と…

 

北海道なので道内の映像を先に見たが、すぐに東北の状況も映像が流れた。

さっきの映像よりも更に酷い…

真っ黒な波が車を家を人を…街を飲み込んでいく…

 

現実じゃないみたいだ。

まるで映画でも見ている様だ。

たしか「9.11」の飛行機テロの時も同じ様に映画でも見ている様な気になった。

 

でも、これは紛れもなく現実…

今、テレビを通して目の前で人が飲み込まれている…

 

もの凄い「鳥肌」が立つと同時に、

「行かなければ!」という強い思いに駆られた。

 

完全に自衛官「災害派遣モード」のスイッチが入った。

 

すぐに災害派遣の準備を始める。

普段から、いつ何が起きてもいい様に災害派遣の準備は常にしてある。

しかし、今回の災害は規模が違う。

情報は混乱し、まだ被害の全容など全く分からない状況だが、間違いなく「長期派遣」になる事が予測できる。

 

部隊からはまだ「災害派遣」の連絡は来ていないが、荷物を持ち部隊へ行く事にした。

 

妻が車で部隊まで送ってくれる。

 

「自衛官の妻」は自衛官である旦那が「災害派遣」などの実任務に行く時に足を引っ張ってはいけない。

家庭の不安事があっては任務に集中できず「大怪我」や「死」に繋がるからだ。

それをよく分かっているのだろう。

あくまで普通にしている。もちろん、不安は隠しきれていないのだが…。

 

「大丈夫、多分このまま災害派遣になると思う。行ってくるわ!」

 

車から降りた時「災害派遣呼集」の電話が鳴った。

「実任務」だ…。

 

 

 

次回へ続く。

 

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